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ヨシダコーポレーション

もう、12月も後半ですか …。

このブログの更新も随分、間が空いてしまいました。

なかなか毎日書くという作業は、たいへんなんですね。                                                                                                           龍馬さん:画像

 

ところで、右の龍馬さんのポスターは、私の部屋に貼ってあるものです。

生き方に悩んだり、生活に疲れた時に見上げると、そっと話しかけて

くれるような気がします。

 

つらい事がおきたら、感謝しなさい。

― これでまた、強くなれると。

悲しい事がおきたら、感謝しなさい。

- これで、より人の悲しみがわかるからと。

ピンチになると、感謝しなさい。

- これで、もっとたくましくなれるからと。

 

つらい事も悲しい事もピンチの時も、それを乗り越えて生きる事が、人生なんだと。

『今の状況は、3年前に何をやったかの結果なんだ。だから今を大切にして、前を向いて進もう。』と …。

龍馬さんの声が聞こえてきます。

大きく深呼吸をすると、ふと楽になって、もう少し頑張ってみようかなと思います。

 

今年も間もなく、終わるんですね。

『亀山社中』いよいよ、船出の時!

実は、このブログを書くにあたっては、私が愛してやまない『坂本龍馬』さんの誕生日でもあり、命日でもある11月15日からと心に決めていたが、友人数人からのアドバイスと言うより、半ば説教のように言われ、協調性の豊かな性格、または、優柔不断な性格と言うが …。

頭をもたげ、「まっ、いいか~。」と、いつもの調子で書き始める事となった。

『坂本龍馬』 ― 龍馬さんを好きになったのはいつ頃からかと、ボ~と考えてみた。

そうです!中学2年の寒い頃だったと思う。友達の寒い、しかも狭い部屋の中で、武田鉄矢さん率いる海援隊の「母に捧げるバラード」を聴いた時までさかのぼる。

あの頃は、吉田拓郎・かぐや姫・泉谷しげる …etc.フォークソングが、ようやく反戦歌から一つのジャンルとして認められた頃で、誰もかれもが、ギターを弾けば女性に「もてる」と言う錯覚をしていた時代でありました。

そんなフォークソング全盛期の中、海援隊の「母バラ」は、ヒット曲のセオリー通りの愛や恋の歌ではなく、母親が単にダメ息子にグチや説教をする歌と言うより一人芝居のような歌だったが、妙に自分の置かれている立場と重なり合い、自然と海援隊の歌にに惹かれていった。

それからというもの、翌年の夏頃には、ラジオやテレビからも海援隊の歌声が流れ始め、ついにはその年の紅白まで出場してしまい一躍、時の人となってしまい巷では、小さい子供達までが、「コラ、てつや!」のフレーズを口にするほどのブームになりました。

でも、ブームって残酷なものですね、半年もしない内に、音楽シーンからは海援隊の名前すら出なくなってしまいました。

それから随分時間が経ってからでした。俗に言うドサ廻りで、海援隊が長崎にやってきました。確かコンサート会場は、長崎市公会堂だったと思います。全席自由席だったんで、2時間前に入り口前に立つと誰もいなくて、本当にコンサートがあるのか不安になった事を思い出しました。

1曲目が終わり、武田さんが自己紹介のあたまで、龍馬さんが長崎港に入った時に言った「ここが、わしの希望ぜよ。」その一言から始まり、武田さんが大好きな龍馬さんの話しを聞き、ふと私は考えました。

武田さんは、龍馬さんが好き。私は、武田さん(海援隊)が好き。だったら、武田さんの好きな龍馬さんの事をもっと知りたい。

そこから私の龍馬さん探しが始まったわけなんですね。

そんな些細な事から、この年49歳になるまでず~と、龍馬さん一途の生き方になったわけです。

夜も遅くなりましたので、この続きは明日ということで …。

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